一週一言インデックス

2024年3月25日月曜日

内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目

一週一言

94日~910

                                 

内に目をむければむけるほど

外の世界が広がってくる 不思議な目

鈴木章子  

鈴木章子(あやこ)19411988)……北海道斜里町にある浄土真宗大谷派西念寺の坊守。4人の子の母であったが、42歳のとき乳癌の告知を受け、46歳で亡くなるまでの4年間、死と向かい合う苦しい闘病生活をおくった。著書に『癌告知のあとで』(探求社)など。










【如是我聞】

春休み中、ぼくたちは新婚旅行にいった。妻と相談して、ベルギーとロンドンを1週間ほど訪れることにした。とくにベルギーは2人とも初めて訪れる国で、ヘントやブリュージュ、アントウェルペンといえば世界史でも登場する場所たちであり、ワクワクした。

しかし、ブリュッセルに滞在中、妻が体調を崩すということがあった。理由はよく分からないが、とにかく辛そうだ。とりあえずその日は、日がな一日、どこにも出かけずにホテルの部屋で体調の回復につとめることにした。ご飯を食べてしまえば、あとはとくにやることもないので、ぼくは中公新書の『ベルギーの歴史』という本を読んでいた。隣では、妻がしずかに寝息をたてている。一冊を読み終える頃には、ぼくはベルギーが歩んできた複雑な歴史に、眩暈にも似た感覚を覚えた。

本を閉じると、もう昼過ぎだった。換気のために開け放した窓からは、街のざわめきがきこえてくる。異国の言葉で呼び交う人々の声、石畳をてろてろ音を立てて走りゆく自動車、街路樹でさざめく鳥たち、遠くからは教会の鐘が時を告げている・・・。

ぼくは部屋の窓を通して、世界の「音」に耳を傾けていた。それらは今までも存在したはずなのに、ぼくが気づかなかった「音」だった。

妻は眠り続けている。もしかしたら、この旅では色々と予定を詰め込みすぎて、疲れが溜まっていたのかもしれないな。思えば出国前も、仕事や、新居への引っ越しなどでゆっくりする時間もあまりなかった。体調はどうだろうか。どのような夢をみているだろうか。こういう時間を過ごすのもたまには悪くないな、と思った。

翌朝、幸いにして妻の体調は無事に回復した。本当に良かった。しかし、その後、ユーロスターに乗車してロンドンに辿り着いたのだが、今度はぼくが体調を崩してしまった。まあ、そういうこともある。生きていれば、またどこかに行けるさ。ぼくはこれからの人生を楽しみにしている。

(社会科 舟木祐人)





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2024年3月18日月曜日

人はそれぞれ事情をかかえ 平然と生きている

今週の一週一言

月28日~9月3日

人はそれぞれ事情をかかえ 平然と生きている

伊集院 静

伊集院 静1950~)

 作家・作詞家(名義は伊達歩)広告代理店を経て、1981年作家デビュー 『機関車先生』『海峡』『乳房』などが有名。作詞家としては『愚か者』で日本レコード大賞を受賞している。この言葉はエッセイ集『大人の流儀』の「妻と死別した日のこと」から                         

【如是我聞】

近所のお寺の法語は月替わり。月が替わればすっと流れていく。この夏は、自分の体のどこかにぶら下がったままの言葉がある。 

 

「何が私を苦しめているのか。自分が握りしめているその物差しです。」 

 

うん、拘泥していることのたいがいは、自分なりの良し悪しの基準、怒りを覚える・覚えない一線、不安になる・ならない閾値といった、ある意味自分自身を象徴し代弁しているともいえる、脈々と築きあげてきた価値観、物差しが、自身の思考を縛り付けて一定の枠内に押し込んでいる結果だろう。

 

この物差しのもとで、じたばた、あくせくしているなぁ、とおもうのだけど、ただ、「そんなもんよね」と思う自分も一方でいる。慌てても、イライラしても、何かが変わるわけじゃない。うまくいかないのは、自分の物差しにかなわないからなのであって、その結果を受け入れることができていないから。相手がいるならば、相手には相手の思いや、願い、そう考える背景があり、自分もまた然り。違う物差しで同じものを見たら、感じることが違うのは当然。ただそれだけのこと。

 

標題となった言葉が載るエッセイで氏は次のように述懐する。『「いろいろ事情があるんだろうよ……」大人はそういう言い方をする。なぜか? 人間一人が、この世で生き抜いていこうとすると、他人には話せぬ(とても人には言えないという表現でもいいが)事情をかかえるものだ。他人のかかえる事情は、当人以外の人には想像がつかぬものがあると私は考えている。』

 

 本当は、うまくいかないこと、おもいどおりになってほしいこと、いっぱいあって、苦しんでいるんだけど、自分の中では平然となんてしていないのだけど、日常は続く。その日常には「いつも通り慌てふためいている」という「平然」がある。みんな、きっと自分の物差しと向きあっては、苦しんでいる。そういう人間らしいところを分かち合って生きているんじゃないかな。

(社会科 梶)





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2024年3月14日木曜日

ありがとうには理由がある ごめんなさいには理由がないときもある


今週の一週一言

月4日~4月7日

ありがとう には理由がある

ごめんなさい には理由がないときもある

三角みづ紀

三角みづ紀

 鹿児島県出身の詩人。20歳のときに膠原病を発病し、郷里である奄美大島での療養中に詩の投稿を始める。


【如是我聞】

 家族というものは特別だけど、なんだか照れ臭い。社会人になったときぐらいから一気に距離を置くようになった。おそらく自分の中で「社会人たるもの、親に頼らず自分で全てするものだ」というような思い込みが強かったのかもしれない。「〜しようか?」と聞かれても、「別にいい」と短い返信をするだけだ。何かしてもらっても「ありがとう」と直接言うのは少し恥ずかしいから、いつも "Thank you." と返す。

 先日、母親から病院で、胃に異変が見つかり再検査の必要があると言われたと連絡が来た。胃癌の可能性もある、と。ああ、親もいつまでも若くはないのだな。あまり意識してなかったが自分が歳を取る分、親だって当然歳を取る。もし、大病だったら、どうしよう。まだ親孝行なんて何もしてないのに。というか、そういうのはちょっと恥ずかしいのに。幸運にも再検査の結果何もなかった。 

年末に実家に帰省した際、思い切って「今度一緒に旅行いかない?」と両親を誘ってみた。トントン拍子に話が進み、今度の春休みに行くことになった。

家族というものは特別だけど、なんだか照れ臭い。まだまだ改まって「ありがとう」というのはちょっと気恥ずかしいけど、一つ自分のしたかったことができて成長できたような気がする。

(英語科 崎中)                                                                               





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2024年2月20日火曜日

執着から欲望が生じ、欲望から怒りが生じる


今週の一週一言

月12日~2月18日

執着から欲望が生じ、欲望から怒りが生じる

『バガヴァッド・ギーター』

バガヴァッド・ギーター

 韻文詩からなるヒンドゥー教の聖典の一つ。「ギーター」とはサンスクリットで詩を意味し、バガヴァンの詩、すなわち「神の詩」と訳すことができる。

「執着」「欲望」「怒り」。この言葉のラインナップ、どうしてもネガティブな印象を受ける。

特に最後にたどりつく「怒り」は中でも一番良くないもの、という解釈だろうか。ヒンドゥー教の言葉だそうだが、日本にも「短気は損気」という戒めの言い回しがある。

確かに、私自身これまで無意識に「怒り」の感情を遠ざけてきた。「喜怒哀楽」のうち、「喜」「楽」はいいけど、「怒」「哀」はあからさまに人に見せてはいけないのではないか、特に「怒」は・・・なんとなく、そんなふうに感じていた。

しかし、最近よく耳にする「アンガーマネジメント」に関する本を読み、怒りに関するこれまでの認識を変えなければと考えるようになった。以下、本で紹介されていたアンガーマネジメント理解度チェックです。よかったら「YesNo」で考えてみて下さい。

 

1、怒ることは悪いことだと思う       

2、イライラしやすい人は、性格を改善する必要があると思う

3、怒りはいきなりバクハツすると思う 

4、怒りはドカンと出してしまえば、ずっと残らないと思う

5、怒りは身近な人に限らず、誰に対しても強く出ると思う

 

いかがでしょうか。答えは全て「NO」です。

「怒り」は自然な感情で、誰にだってあるもの。それを無理に押さえ込むことで自分をかえって傷つけることがある。また「怒り」とは二次感情であり、「不安」「悲しみ」という一次感情がもとになって生まれることなどが本に書かれていた。

「怒りは忌むべき感情だ」私は無意識のうちにそんなふうに考えていたが、なぜなのだろう?家庭で、学校で、社会で、知らず知らずのうちにもしもそう思わされていたとしたら?

以前、ある母親の、怒りに満ちたSNSでのつぶやきが待機児童の問題を顕在化させたことがあった。「保育園落ちた 日本○○!!!」過激な一言だが、もとになっているのは、仕事ができないという悲しみや不安かもしれない。そして、「こんな日本であっていいはずがない!」という思いが、同じ悩みを抱える人を連帯させ、社会を良い方向に導いた。

「記憶にない」「裏金ではない」という言葉を繰り返すだけで、難局を切り抜けられると考える人たちを目の当たりにする今、私たちは、社会を良くするためにも「正しく怒る」ということにきちんと向き合わなければいけないのかもしれない。

(国語科 三上)                                                                               





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2024年2月7日水曜日

もう終わりだと思うのも、 さぁ始まりだと思うのも、どちらも自分である。

今週の一週一言

月5日~2月11日

もう終わりだと思うのも、

さぁ始まりだと思うのも、どちらも自分である。

フェデリコ・フェリーニ

フェデリコ・フェリーニ(19201993)

 イタリア生まれの映画監督。「映像の魔術師」の異名を持つ。小説の挿絵画家、新聞の寄稿、ラジオ・ドラマの脚本などさまざまな職業を経て、脚本家として映画界入りを果たした。

【如是我聞】

ゲームのキャラクターはコンティニューを選ぶことが出来る。何度やられても立ち向かうチャンスをくれる。だから様々な選択肢からいくつも試すことが出来る。実世界で覆すことが出来ない結果を目の当たりにしたとき、もちろんコンティニューは出来ない。受験で失敗した、試合で負けた、絶望を感じて「終わった」と思うとき、立ちはだかる言葉はゲームオーバーなのだろうか。

中学、高校、大学と競泳に打ち込んでいた私は、いいタイミングで怪我に悩まされていた。

中学では体が成長してタイムも伸びて、これからだという時に両足の太ももの肉離れを起こした。すぐには治らないため、満足な練習が出来ず、その年の結果は散々だった。大学は、ハイレベルな環境で体に鞭を打ちながら取り組んでいると、三年目に膝を痛めた。普段の生活にも影響が出る痛みで、満足に力を入れることが出来ず、最後の一年は思うようにいかなかった。怪我をした時はかなり落ち込んで、中学の時のショックは高校に入っても引きずった。絶望の淵に立たされている私をみて、周りはいつも笑顔で接してくれた。怪我をした時も、タイムが悪い時も、いつも決まって「とりあえず楽しんでこう」と言ってくれた。最初はすぐに受け入れることは出来ず、自暴自棄になっていたこともあった。それでも周りの人はいつも笑顔で、楽しめるように声をかけてくれた。かけてもらった言葉はどれも、絶望に至った道を振り返るものではなく、これからを明るく照らしてくれる言葉だった。言葉の意味が理解出来ると、私も次第に笑顔になり、絶望を受け入れることが出来た。今考えても、恵まれた環境に身を置くことができ、周りの人々に支えられて今の自分がいるのだな、と思う。本当にありがとう。

 覆すことが出来ない現実を目の当たりにすると、目の前に浮かぶ文字はゲームオーバーなのかもしれない。もちろんコンティニューは出来ず、どうすることもできない。ただ、壁にぶつかって後戻り出来ずとも、T字路のように横道はいくらでもある。横道のその先にも様々な分岐が待っている。私はその中から一番楽しそうな道を選ぶようにしている。どの道を選んだとしても後戻りは出来ず、また壁に当たることだってある。だったら一番楽しそうな道を選んだ方がいいじゃないか。そう思うと、終わりは次の楽しい道を探す始まりなのかもしれない。選んだ先が険しい道のりであったとしてもどうせ後戻りは出来ないんだ、とりあえず楽しんでこう。

(数学科 朝山)





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2024年1月29日月曜日

どうにもならないことなんて、 どうにでもなっていいこと


今週の一週一言

月29日~2月4日

どうにもならないことなんて

どうにでもなっていいこと

甲本 ヒロト

甲本 ヒロト(19631年~)

 シンガーソングライター。1985年、THE BLUE HEARTSを結成し、1987年に「リンダリンダ」でメジャーデビュー。1995年に解散した後、1995年にTHE HIGH-LOWS2006年にザ・クロマニヨンズを結成。数多くのヒット曲を世に送り出す。

【如是我聞】

春が嫌いだ。生暖かい空気、新しい年度、新しい環境、新しい出会い。すべてがおぞましく感じる。

 ふりかえれば、春に機嫌がよかったことなど一度もない。今までのどの入学式の写真も不機嫌な顔で写っている。

 あと2、3ヵ月で春が来てしまう。また少しずつ春に向けて構えはじめている自分がいる。なぜ構えてしまうのか、少し心当たりがある。

 自分の性格は前向きで楽観的であると思っている。大体はどうにかなるやろ~、なるようにしかならんって~と思っている。それが不思議なことに新年度を迎えてしまうと、完璧な人間になろうとする。さあ今年度はもう少しマシな人間になろう、心が穏やかで落ち着きがあって、おしゃべりも控えて周りから大人っぽいと思われるような人間になろう、と意気込むのである。誰しも新しい年を迎える時に抱負を抱くものだと思う。私の場合、もはや私のもともと持ち合わせている要素をすべてなくして、到底達成できそうもない理想の自分を作り上げてしまう。その理想像から少しでもはみ出てしまうと、どうにもならないことなのに心に決めた目標も達成できないダメな人間なんだと落ち込む。春だけは何でも完ぺきにこなさないといけないような気持ちになる。すこしでも最初で失敗してしまうとこの年のすべてが台無しになってしまうという強迫観念に駆られる。それだけにとどまらず、失敗して目標も達成できない自分は周りからいい評価を受けられないと思い込み始める。期待していた様な人材じゃなかったとがっかりさせるに違いないと負の感情のループに陥ってしまう。これが春の儀式である。

 今年の春はまた慣れない環境に身を置くことになる。心を軽くするためにもどうにもならないことを気にするのはやめてみてもいいのかもしれない。具体的にどうすればいいかは正直全く思いつかないが、幸い私には頼りになる家族、友人、同僚がたくさんいる。結局一人では何もできず、支えがないと生きいけない不完全な私がいる。そんな周囲の支えに感謝しつつ、助けを借りて、この春は心を軽くして過ごしたい。

(英語科 兼田慈)





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2024年1月22日月曜日

心から何かを望むのは、 そんなに簡単なことじゃない。


今週の一週一言

月22日~1月28日

心から何かを望むのは、

そんなに簡単なことじゃない。

村上 春樹

村上 春樹(1949年~) 京都府出身。1979年に『風の歌を聴け』でデビューし、数多の作品を世に輩出している。日本国外でも人気であり、芥川賞の受賞が期待されている作家である。また、デビュー以来、翻訳活動も精力的に行っており、翻訳家としての業績も高い。

【如是我聞】

友達が新年の挨拶に東京からやってきてくれた。近所の神社に初詣にいく。

 ていねいな字で書かれた絵馬がたくさん下がっている。

「戦争が終わりますように」

「しばらく前の世の中にすっかりもどりますように」

 うんうん、そうだよね、とうなずきながら読んでゆく。

「かにさされませんように」

 かわいい……。ひらがなだけなのがいいなあ。この時期でも刺されちゃうなんてねぇ。

「宿題がもっと出ますように」

 えっ。

「ねこになれますように」

 かわいい……のだろうか? それとも、人間ではいたくない理由が何かこの人にはあるのだろうか?

 最後に、一番の達筆で書かれた、

「弟がましな人間になれますように」

 という絵馬を読みつつ、それまで少しずつしていた後じさりを大きくまた一歩おこない、音をたてないよう、そそくさと去る。

家に帰ってからは、絵馬のことは考えないようにして過ごす。絵馬に願いを託すということ。願うこと。うーん。

意識しないようにしてもついつい心から自分が望むことについて考えてしまう。

それで、考えこんでいると、こんなに長い時間も、お金も、手間もいろんなものをかけて、子どもを育てて、たったひとつほんとうに学んだことは、「心から譲ることができる」ということだけだということに行き着く。

おいおい、本当なの?それ以外に何か成長してないの?と聞かれたら、とても情けないけれどそうだと言ってしまう自分がいる。

たとえば、ユニバーサルスタジオに行き、さぁ、いよいよ自分が乗る番だとする。そんなドキドキ最高潮なときに、5歳くらいの子が来て、「おばちゃん、先に乗らせて」と言われたとする。

もちろん若いときの私も譲ってあげただろう。でも、ちょっとだけ頭の中で考えると思うのだ。ほんの数秒。「やっぱり小さい子とはりあったらまずいだろうな」とか。

それが、全くためらいなく、体と心が同時に動いて、いいよって脇によけるようになった。ただそれだけのことに、こんなに時間がかかるなんてどうなの?エゴが強すぎ?と思うのだが、すごい変化だと言えなくもないので、すごい変化だね、と自分で思っている。

もうこんな年齢になってきたので、量、とにかくたくさんの物に囲まれるのではなく、いつのまにか好きな物を厳選して選ぶようになってきている。ピアス、シャーペン、洋服、バッグ、靴など。でもそれらも、娘が欲しいと願えばなんのためらいもなく譲れると思う。大好きなキルフェボンのイチゴタルトも、はい、どうぞ。

それでは大切にしたいものとは、なんだろうか。

難しいことかもしれない。でも季節はいつも味わっていたい。季節の味わい方は食材だけではない。

陽の光でも季節を体で感じられる。学校にいると、夏場の17時はまだ明るいのに、冬場はもう暗い、というように。忙しくて四季を感じられなかった経験がしょっちゅうあるが、四季を感じ、自分を大切にしたい。

そのためには軽やかでいて、自分ルールで縛ることばかりにならないようにしたい。自分が責任を取れる範囲で、自由でいたい。

(須藤か)





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2024年1月17日水曜日

点が将来結びつくと信じなくてはいけない。 信じるものを持たなくてはいけないんだ。



今週の一週一言

月15日~1月21日

点が将来結びつくと信じなくてはいけない。

信じるものを持たなくてはいけないんだ。

Steve Jobs

Steve Jobs19552011

 サンフランシスコ生まれ。Appleの創業者・元CEONeXTの創業者・元CEOPIXARの元CEO。スティーブウォズニアックとともにApple社を創業。Macintoshの開発を主導しGUIやマウスをもつパーソナルコンピュータという概念を普及。iPodiPhoneiPadを発表し音楽、通信業界など世界中に大きな変革をもたらす。PIXAR社では世界初の長編CGアニメーションであるToy Storyを制作。

【如是我聞】

随分前の授業でのこと。「今習っている数学は、将来何の役に立ちますか?」と質問をする生徒がいた。その生徒は、役に立たないのなら勉強する意味ありますか?という意味で聞いている様子である。たまに聞かれることがあるその問いに、私はいつも敢えてハッキリとこう答えることにしている。

「特に何の役にも立たないよ」と。

予想とは真逆の答えに、その生徒は呆気に取られ言葉を失う。

そもそも学校で、役に立つことだけを学ぶわけではないのだ。役に立つこと以外は取り組む意味がないのなら、一生懸命やっているクラブ活動もほとんどやる意味がないことになりはしないか。実際、シュートを上手に決められることやボールを上手く打ち返すことなど、それ自体が将来特に何かの役に立つわけではない。しかし生徒たちは、今の自分の成長にとってとても大事なことだということについては根拠のない強い確信をもって取り組んでいるはずだ。芸術などもしかり。つまり、体験したことや学んだことから何を掴み取り生かすのかはすべて学んだ本人にかかっているわけで、実は本人の問題なのだ。

だから、要約すると「知らんがな」というのも正解の返答になるのではないかと思う。

ただ、生徒たちに「知らんがな」と言うわけにもいかない(説明から逃げていると思われる)ので、少し話をし、そのことに気づいてもらうと生徒たちは納得をする。 知らんけど。

何かを本当に「学ぶ」とき、役に立つという価値観の優先順位は、大抵の場合において高くない。

今、自分のしていることが将来にどう繋がるのかは誰にもわからない。それは結果論だから。一生懸命練習しても試合に勝つことを確約されはしないのと同じだ。だから不安なのだ。本当はやっても無駄なんじゃないか、だが考えてもわかるはずがない。やってみないことには始まらない。そこで初めて「本当の学び」が起動するのだ、と内田樹さんがおっしゃっていた。どうなるか分からないことに踏み出そうとすることこそが「本当の学び」の始まりなのだ。

だから、これは大事そうだ、これは面白そうだ、と感じる瑞々しい「感性」が大切になる。「感性」を育むには学び続け、直感を信じて挑戦し失敗も恐れずに進む日々も過ごしてみることだ。だがそれも一つ一つが「点」でしかないから、しんどい思いをしてまでやらなくてもいいのではないか、とふと考えてやり過ごしたりもする。だからといって不安はなくならない、無視できない。だが不安と向き合うことは悪いことばかりでなく、生きていく上での大事なことをたくさん教えてもくれる。そうして「自分」が育まれていく。

私も、これまで無駄なようなことや失敗はたくさんしてきたと思う。だから、

「点が将来結びつくと信じなくてはいけない。信じるものを持たなければいけないんだ。」

Steve Jobsは私が愛してやまないAppleの創業者の一人だ。この言葉は、彼が米スタンフォード大学の卒業式に招かれたときのスピーチの一節である。彼には生みの親と育ての親がいた。大学は中退し、その後数ヶ月は大学の好きな授業だけを受けた。Appleを一度クビになった。それでも彼は様々な「点」が繋がることを信じ続けたのだ。彼の人生観とともに語られたこのスピーチには傾聴すべき言葉が多い。

最後に、私事だが、昨年結婚25年を迎えた。本当にそんなに経ったのかなと、その日2人で笑い合った。

点は結びつき未だ来ぬ先へ伸びていく…と信じ続けなくてはいけない。

それが人生なのだ。  知らんけど。                   

 (数学科 嶋村)


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2023年11月28日火曜日

人生から返ってくるのは、あなたの投げた球

今週の一週一言

11月27日~12月3日

人生から返ってくるのは、あなたの投げた球

斉藤茂太

斉藤茂太(19162006

 日本の精神科医・随筆家。斎藤茂吉の長男として東京に生まれる。「モタ」の愛称で親しまれる。

【如是我聞】

 115日 阪神タイガースは38年ぶりの日本一を勝ち取った。多くの選手たちがチームの勝利に貢献したがその中で私は横田慎太郎選手のことが忘れられない。

 718日 元阪神タイガースの横田慎太郎選手が28歳という若さで亡くなった。

 現役時代真面目にひたむきに練習する姿がファンに愛され将来活躍が期待されていたがプロ4年目で脳腫瘍と診断され,その後、後遺症の影響で現役引退を余儀なくされた。プロ最後の引退試合で1096日ぶりに試合に出場した。その当時ボールを見ることも難しい横田のもとにボールがきたが,そのボールを捕球して,「本塁へのノーバウンド送球で走者を捕殺する」というファインプレーで現役生活を終えた。私はこのファンプレーは横田の今までの努力など積み重ねてきたものがこのプレーを呼んだものだと感動した。

現役引退後,講演活動などを行っていたが,腫瘍が再発し,今年帰らぬ人となった。

915日リーグ優勝が決まる直前には現役当時の登場曲「栄光の架橋」が流れ,ファンとチームが一つになるきっかけになった。そして優勝を分かち合うときには,横田のユニフォームが常に共にあった。そして彼のユニフォームは胴上げの際に共に宙を舞った。綺麗な話に見えるが,そのストーリーは横田選手が現役の時に人一倍努力して練習をしてことなど自分自身で積み重ねてきたものが返ってきた結果ではないか。そのストーリーを彼は直接見ることができないが心の中には届いているように私は感じた。

 「人生から返ってくるのは、あなたの投げた球」そのことを常に心に刻みながら生活していくことが大切だと思う。実際に返ってくるかどうかはわからない。しかし,自分自身の行動は必ず周りに見られている。

私は,まだまだ人として力不足である。これからも一つ一つのことを丁寧に行動していくことを日々心掛け,人として成長していきたい。

(数学科 坂根)





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2023年10月23日月曜日

わがこころのよくて、ころさぬにはあらず

今週の一週一言

10月23日~10月29日

 

わがこころのよくて、ころさぬにはあらず

『歎異抄』

『歎異抄』

親鸞の教えを弟子・唯円がまとめたとされる仏教書。鎌倉後期に成立。室町中期に蓮如によって見出され、明治期、清澤満之らによって宗派を超えた宗教哲学の書として再評価される。なお作成にあたり、乾文雄先生、山田友能先生よりご教示いただきました。

【如是我聞】

あるとき、親鸞は弟子の唯円に、私を信じるかと尋ねた。彼が肯定すると、今度は言いつけに逆らわないかと訊く。常に従うと答えると師は告げた。千人殺してこい、そうすれば極楽浄土へ行ける、と。仰せではありますが一人も殺せません、そう訴える弟子に、親鸞は、これでわかっただろう、と言う。自らの思いのままにできるのなら、千人でも殺せるはずだ。しかしそういう業縁がないときには一人さえ殺せない。これは自分のこころが良くて殺さないのではない。逆にやりたくないと思っていても、百人千人を殺してしまうことだってあるのだ──。「絶対他力」、すなわち何事も自分の思い通りにはできないという教えとして知られる一節である。

有名すぎるため見過ごされがちだが、よく考えるとこの話、かなり絶妙なバランスの上に成り立っている。というのは、もし唯円が師の指示に呆れて従う気をなくしたり、逆に刀を持って飛びだしていったりしたら、彼は「思い通り」に行動したことになってしまうからだ。弟子をあやまたず「他力」という気づきへと導くには、「師の指示に従いたいが、そうできない」という状況にならねばならない。つまり親鸞はこのとき、唯円が自分に心服しながらも命令だけは断ってくれること ──言い換えれば業縁が整っていないこと── に賭けた、ということになる。

当たり前だ、殺人などそうそうできるわけがない、そう思われるだろうか。しかし歴史をひもとけば、信仰ほど人に思考を放棄させ、殺したり、殺さなかったりを命じてくるものもない。多くの指導者が信徒に無条件で自分(あるいはその背後にいる神)に従うよう求める中、弟子に「できない」という台詞を期待する親鸞の方が、むしろ例外的なのだ。「親鸞には真の意味での弟子はおらず、すべての人はともに生き、考え、悩む仲間だった」とはしばしば語られることだが、そのありようはここまで直接的に弟子を訓導するエピソードの中にあっても、その奥底に流れているということだろうか。この親鸞の弟子への接しかたは、むろん宗門校に勤める我々教員の生徒へのふるまいについて、強 い示唆を与えるものだ。言うことを聞かなくてもカッとせず、学びの機会ととらえること。知識を教えこむのではなく、

自分で判断させ気づかせること。しかしなにより僕が戦(おのの)くのは、その根源的(ラディカル)な探究の姿勢だ。なにしろこの物語では、殺人という禁忌すら相対化される。

「なるほど、自分で考えないといけないのはわかりました。でも人殺しは問答無用でダメですよね?」などという思考停止を、この逸話は決して許さないのである。

国語科 奥島 寛





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内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目

一週一言 9 月 4 日~ 9 月 10 日                                   内に目をむければむけるほど 外の世界が広がってくる 不思議な目 鈴木章子    鈴木 章子 ( あやこ ) ( 1...